「本ゲル係数」ということばを考えてみたが、残念ながらすでに存在していた。ググってみると、たくさんのひとが使っている。
そこで、「書ンゲル係数」はどうだ、と検索をかけてみると、ヒットしない。というわけで、これからは、「書ンゲル係数」を使わせていただく。
「しょげる」にも通ずるようで、まさに私にぴったりのことばではないか。
さて、その「書ンゲル係数」というのは、読んで字のごとく、「消費支出に占める本代の割合」のこと。
で、言いたいのは、わたしの「書ンゲル係数」なのだが・・・・・・。
・・・高い。
・・・・・・高すぎる。
怖いので、実数を計算しないことにしている。
ここ十年来、なけなしの金を本代にせっせとつぎこんでいるのだが、「ほとんどビョーキ」(死語)だ。さすがに、借金までして読めもしないドイツ語の原書を買うという石川啄木ばりの無茶はやっていないつもりだけど、このごろは、寝室まで本が浸食しはじめている。
三度のメシより古本、と言ったのは樽見博さんだが、わたしは新本も買うので、三度のメシ、いや三日のメシより本、とでも言いたいところだ。
しかし、そうなってしまうのも仕方のないことだ。
というのは、まず新本はあたりまえで、古本屋や新古書店は見つけるたびに入っているし、めぼしい古本市や古書セールにはかけつけるし、ネットで本を買うのもザラ、果てはオークションでも本を買っているのだもの。
四六時中、といっては大げさだが、それでも、一日の三分の一くらいは、本のことを考えている。
特に、いまだ手に入らない本や、手放してしまった本に思いを馳せることが多い。
それに、今のところ売る気はないのだから、本はたまる一方なのだ。
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